SignにHERO
2004年8月31日 Mr.Children個人的にはHEROの方にメッセージ性の強さを感じます。
その為かSignを聴く度に当時を懐かしく感じたりもします。
人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい
友人はHEROのこの部分に深く感銘を覚え、
「この"最後のデザート"というのは"死"を表していて、
つまり愛する人の笑顔の死を看取りたいという意味が込められているんじゃないか」、
という独自の(?)解釈を教えてくれました。
確かに深い詩ですね。
ただ単純なんですが、
私はこの部分がなかなか好きなんです。
小さい頃に身振り手振りを
真似てみせた
憧れになろうだなんて
大それた気持ちはない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
後半少しキザな気もしますが、
結構自分の気持ちに通じる部分があるような気がするんです。
去年だったか、小田和正さんがやっているクリスマスの何ちゃらって特番にて、
小田さんの「聴いてくれる人に伝わらない音楽は意味が無い」という主張に対して、
桜井さんは「僕は伝わらなくてもいいと思ってます」というような事を言って、意見が真っ二つに割れました。
個人的にその桜井さんの考え方が好きです。
伝えよう、伝えようという気持ちがありすぎると、
かえって伝わらない事の方が多い気がします。(私は)
ただやはりアーティストさんというのには、それぞれ音楽に対する一貫した考えというものがあっていいな、と改めて憧れました。
また、ネット上では「子供がいるのに離婚をした桜井に「タガタメ」のような曲を歌う資格はない」といった意見もよく耳にしますし、また一方ではその意見に対し「当人達が納得をし、且つ幸福な生活を営んでいるのなら第三者がそれに対し何か言う資格はない」という逆の意見も目にしました。
私のような、人生経験もまだまだ浅い人間には、それに対し何か意見を言う事自体、おこがましいような気がしますが、
前者の意見は正しいと思いますし、後者の意見にも賛同したいのですが、やはり歌を世に送り出す職務を担っている以上、ある程度の責任は伴うのかな、、と身勝手な考えが頭をよぎる事もあります。
ただ私は桜井さんを前者の方のいう「資格のない人間」のようには思いません。
逆に誰よりもふさわしい人間だと思うのはファンだからでしょうか。
HERO
残酷に過ぎる時間の中で
きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
Sign
緑道の木漏れ日が君にあたって揺れる
時間の美しさと残酷さを知る
残された時間が僕らにはあるから
大切にしなきゃ と小さく笑った
こうして見ると、この二つの曲に込められた想いというのは、同じものなのかもしれないな、と思ったりもします。
桜井さんご自身、どこかで時の流れの残酷さというのを実感されているのかもしれません、、
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